なにか記事を連投してしまうのは、書きたいことを書けているようでかけていないから。友達が、言葉にできないもやもやが溜まって行くような感じ、と言っていたけれど、今の私、そうだな。
Tちゃんの記事を書いていて、なんだか後ろめたいのは、最後の段落に書いたことなんだけれど。
誰かをなんとかしてあげたいという気持ちっていったいなんなんだろうね。純粋に心配してなんとかしてあげたいという心に、いろいろな要素…不純物が混ざっているように感じて、これは偽善ではないか、傲慢なのではないか、自分を必要としてもらいたいだけなのではないか、自己顕示欲なのではないか…。「誰かに何かをしてあげたい自分の心の働き。」それに色々と疑問を感じてしまう。
メンタル系のブログなんかも読んでいると、はやくそんな親捨てちゃいなよ、だとか、自由になっちゃいなよ、と言ってあげたくなったり…。カウンセリング受けなよ、その檻から出て自分のために生きなよ、ってね。
これも自分自身の投影なんだろうか?相手にとっては余計なおせっかいに過ぎないのではと感じて、コメントできない。私もひとりよがりの「私はこうしてよくなりました!だからあなたも●●すれば…」みたいなアドバイスなんてもらったらくそくらえと思うだろうしね。こういうメッセージだったらもらっても抵抗がないというふうになるには、やはり共感がないと。共感とその人に対する好意、それ以外のものが大きくなるようであればコメントは他の心ある人に任せたほうがいい。
この前のカウンセリングで本音を喋れなかったのも原因のひとつかもしれない。次回は一ヵ月後、遠いけれど、少しほっとしているところもあって…。
なぜなら、私はかなりよくなっているんじゃないか、とこの前のカウンセリングで感じたから。もちろん問題はたくさんまだあるんだろうけれど、耐え難いストレスというのは何もないし、カウンセラーに話すことがなくて居心地が悪かった。カウンセリングはいつ終わるんだろう、と幾度となく訪れた疑問が頭をよぎった。カウンセラーが必要となくなるのも怖いし、誰の手助けもいらない、「病気を盾にしない自分」も恐ろしかった。メンタルブログをやる意義もなくなって、ただの日記になって…。
病気は私のアイデンティティになってしまったの?
だからよくなっていると感じている私は、自分の病気について語ることがなくなれば、病気について別のアプローチが欲しくなったのかもしれない。「他人の病気に口を出す。」悪く言うとね。そんな後ろめたさが、言葉を上滑りにさせているんだな。
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